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東京高等裁判所 平成8年(行コ)92号 判決 1998年6月11日

長野県南佐久郡南牧村野辺山七九番地一三

控訴人

甘利愛子

右訴訟代理人弁護士

岩下智和

長野県佐久市大字岩村田字内西浦一二〇一番地二

被控訴人

佐久税務署長 小林政昭

東京都千代田区霞が関三丁目一番一号

被控訴人

国税不服審判所長 太田幸夫

右被控訴人両名指定代理人

加島康宏

山岡千秋

右被控訴人佐久税務署長指定代理人

黒尾眞澄

宇田川祐一

右被控訴人国税不服審判所長指定代理人

宮下吉輝

藤井正信

村井三郎

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決を取り消す。

2  被控訴人佐久税務署長(以下「被控訴人税務署長」という。)が平成元年三月一〇日付けでした控訴人の昭和六〇年分の所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定並びに昭和六二年分の所得税の更正のうち総所得金額一八八万二八七八円、納付すべき税額四万七八〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定を取り消す(以下、各更正を「本件各更正」といい、本件各更正と各賦課決定を一括して「本件各決定」という。)。

3  被控訴人国税不服審判所長(以下「被控訴人審判所長」という。)が平成二年六月二七日付けでした本件各決定に対する控訴人の審査請求を棄却する旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を取り消す。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。

二  被控訴人

主文第一項と同旨

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり補正、付加するほかは、原判決事実及び理由の「事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。

一  原判決の補正

1  原判決四頁六行目の「肩書住所地において農業を営む」を削除する。

2  同一四頁末行の次に改行の上次のとおり加える。

「 また、控訴人が本訴において提出している資料は、仮に部分的に不十分な点が存在するとしても、所得計算の基礎資料として十分適格性を有するものであり、このような資料を無視してまで不合理な面積課税方式による推計にこだわる理由はなく、推計の必要性が消滅したというべきである。」

3  同二〇頁八行目末尾の次に「また、本件推計に用いられた面積課税方式(面積当たりの平均農業所得に耕作面積を乗じて農業所得を推計する方式)は、そもそも推計の方法として合理性がないというべきである。」を加える。

4  同二二頁六行目末尾の次に「また、被控訴人税務署長は、本訴において比準同業者の氏名を隠した書証(乙第二号証)を提出しており、このような立証の方式では本件各更正の適法性を立証したとはいえない。」を加える。

二  当審で追加された争点

1  農業の事業主の誤認

(一) 控訴人の主張

(1) 控訴人方の農業の事業主は、控訴人の夫である正弘が死亡した昭和六〇年八月二〇日までは正弘であり、正弘死亡の翌日(同月二一日)からは控訴人の長男である弘であって、控訴人ではない(仮に正弘死亡後の事業主が弘でないとしても、控訴人が事業主となったのは昭和六〇年八月二一日からである。)。

したがって、本件各更正は農業の事業主の認定を誤ってされた違法があり、また、昭和六〇年分の更正については所得税法一二五条一項にも違反している。

(2) なお、家族で農業に従事している場合に、誰を事業主と評価するかは法律上の評価の問題であって、被控訴人主張のような自白が問題となる余地はないのみならず、そもそも控訴人は事業主であることを自白したこともない。仮に控訴人の自白があったとすれば、それは真実に反し錯誤に出たものであるから撤回する。

(二) 被控訴人税務署長の主張

(1) 控訴人は、肩書住所地において農業を営む白色申告者であり、本件係争年分における農業所得に係る事業主であることを自白していたものであって、右自白の撤回には異議がある。

(2) なお、控訴人の供述等によれば、昭和六〇年においては、正弘は痛風のため歩行困難となり、同年八月一九日に落雷に遭ったときも一週間だけ無理して畑に出向いていたというのであって、同年は、控訴人が専ら農業に従事し、自らの判断で農業を経営していたことが明らかであり、現に、控訴人は、昭和六〇年分の所得税について、年間を通じて農業所得が控訴人に帰属することを自認して確定申告書を提出しているのである。また、控訴人は、弘は昭和六〇年当時まだ一九歳であり、昭和六二年当時も若者特有の遊びや仲間での会合等の用事も多く、畑の仕事自体十分に知らない状況であったと繰り返し主張し、供述していたのであり、正弘の死亡後の農業所得に係る事業主も控訴人であることは明らかである。

2  昭和六〇年分の所得の実額について

(一) 控訴人の主張

昭和六〇年分の農業所得の実額は、別表のとおり、収入金額が一〇六四万三六七二円、必要経費の合計が九九六万一一六〇円であり、収入金額から必要経費を差し引いた所得金額は六八万二五一二円となり、所得控除後の課税所得金額はゼロである。

(二) 被控訴人税務署長の主張

控訴人の主張する収入金額、必要経費は争う。控訴人は、野辺山農協を通さない取引で大根を業者に反別で販売していることを自認しており、収入金額がすべて預金通帳に記載されているとはいえないし、必要経費についても、支出内容が明確でないものや必要経費となり得るものかどうか疑問なものなどがあって、控訴人の実額反証なるものは本件推計の合理性に対する反証たり得ないものである。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所は、控訴人の本訴請求は理由がないと判断する。その理由は、次のとおり補正、付加するほか、原判決事実及び理由の「争点に対する判断」のとおりであるから、これを引用する。

(原判決の補正)

1 原判決二七頁二行目の「昭和六一年分の」を「昭和六〇年分、同六一年分の」に改め、同六行目の「金額」の次に「(昭和六〇年分の農業所得金額は一五万三八六八円、昭和六一年分のそれは六六万六一四〇円の欠損となっている。)」を加え、同一〇行目から一一行目にかけての「所得税確定申告の内容を確認するため調査に来た」を「身分証明書及び質問検査章を提示し、過去三年分の所得の確認調査のために伺った」に改め、同末行の「原告が」の次に「、これから午後の仕事に出かけるところであり、また、」を加える。

2 同二九頁七行目の「判断し、」の次に「次回の調査日の約束もできないまま」を、同八行目の「その後、」の次に「篠原係官が昭和六二年七月に所得税第二部門から同第一部門へ配置替えになったことなどもあって、控訴人に対する調査が事実上中断する形となったが、」をそれぞれ加える。

3 同三〇頁七行目の「六名」を「五名」に改め、同八行目の「また、」の次に「過去三年分の所得の確認調査のためであることを告げて」を加え、同九行目の「原告が前回同様」を「控訴人は、立会人らは同じ仲間であるから退席する必要はないとし、税務署側の持っている資料を先に出すよう求めるなど前回同様」に改める。

4 同三二頁三行目末尾の次に「また、当審証人井出節夫の証言及び甲第六一号証、第六三号証中前記認定に反する部分も前掲各証拠に照らしにわかに採用することができない。」を加える。

5 同三三頁一行目の「また、」の次に「呼出調査に応じなかった者に対し一斉に税務調査が実施されたとしても、それは申告所得金額に誤りがあるかどうかを調査確認する機会をもたなかった者に対して行われたに過ぎないとみることができ、」を加え、同三行目の「昭和六二年分」を「昭和六〇ないし六二年分」に、同六行目の「のであるが、」から同九行目の「照らせば、」までを「ほか第三の一1(一)の事実に照らせば、」にそれぞれ改める。

6 同三五頁八行目の「できない」の次に「(なお、税務職員が調査のために納税者宅に臨場する場合に事前の通知を行うかどうかも調査を担当する税務職員の合理的な判断に委ねられているものであるから、篠原係官が事前通知をせずに控訴人宅に臨場したことをもって同係官の調査活動が違法であったとすることもできない。)」を加える。

7 同三六頁二行目の「ことができる」を「ことができるのであって、本件において、社会通念に照らし妥当性を欠くような調査活動が行われたとする事情は認められない。」に改める。

8 同三七頁五行目末尾の次に「なお、右のとおり、本件各更正当時において、実額による所得計算ができず推計による課税の必要があった以上、たとえ後に実額による所得計算の資料が提出されたとしても、そのことによって当然に遡って推計の必要がなかったことになるわけでないことはいうまでもなく、この点に関する控訴人の主張は採用できない。」を、同末行の「者であり」の次に「(控訴人が肩書住所地において農業を営んでいることについては、後記のとおり控訴人の自白が成立しているものである。)」をそれぞれ加える。

9 同四三頁末行の「原告は」から同四四頁二行目の「いるのであって、」までを「甲第五〇号証、控訴人本人の供述によると、後記のとおり、右農協を通さないで販売された大根の売上げがあることが推認されるのであって、」に改める。

10 同四四頁八行目の「しかるべきである」の次に「(一般に農作物の収穫量ないし売上げ等はその耕作面積の大小と少なからず相関関係を有しているといえるのであって、面積課税方式も農業所得の推計の一つの方法であることはいうまでもなく、同方式そのものが推計の方法として合理性がないということはできない。)」を加える。

11 同四五頁二行目の「いうべきである」の次に「(なお、被控訴人税務署長において比準同業者の住所、氏名を秘匿することは税務職員の守秘義務によりやむを得ないことであり、被控訴人税務署長が右氏名を明らかにしないからといって直ちに本件推計が合理性を欠くものとはいえない。また、比準同業者に関し氏名を隠した書証であっても、他の証拠により同業者の抽出過程やその資料の正確性などが明らかにされることと相まって、推計の合理性の資料となり得るから、右書証によっては本件各更正の適法性を立証し得ないとする控訴人の主張は採用できない。)」を加える。

12 同五〇頁三行目の「本件において」から同九行目末尾までを「のみならず、前記認定のとおり、控訴人は本件税務調査の段階で所得計算のための資料を一切提出しようとせず調査に協力しなかったため、被控訴人税務署長において本件推計をせざるを得なかったものであり、控訴人がその後訴訟等に至って一部の資料を提出したからといって、その資料によって所得の実額計算ができるのであればともかく(本件において控訴人が提出する資料では所得の実額を把握することもできないことは後記のとおりである。)、そうでない限り、そのことは被控訴人税務署長のした本件推計の合理性を何ら否定する理由となるものでないことはいうまでもない。」に改める。

(当審で追加された争点に対する判断)

1 当審で追加された争点1(農業の事業主)について

(一) 記録によれば、控訴人は、第一審において、被控訴人税務署長の「原告は、南佐久郡南牧村野辺山七九番地一三において農業を営む、所得税の申告について青色申告の承認を受けていないいわゆる白色申告者である」との主張事実を「認める」と答弁している(控訴人の平成四年二月二〇日付け準備書面(四))ほか、控訴人の農業所得の正しい金額は、昭和六〇年分が八四万五四六二円であり、昭和六二年分が一七四万六六三三円であるとも主張し(控訴人の平成四年二月二〇日付け準備書面(三))、さらに当審に至ってからも、控訴人の昭和六〇年分の所得実額として野辺山農協との取引による収入金額、支出した必要経費を主張している(控訴人の平成九年二月二一日付け準備書面)のであって、控訴人の右認否、主張など訴訟の経過に照らせば、控訴人が本件係争年分の農業所得を生ずる事業の事業主であることについては控訴人の自白が成立していることが明らかである。

(二) 控訴人は、右自白は真実に反し錯誤に出たものであるから撤回する旨主張するので検討するに、<1>控訴人は夫正弘と夫婦で農業を営んでいたところ、正弘は昭和六〇年八月一九日に畑で落雷に遭い翌二〇日死亡したこと(控訴人の供述、弁論の全趣旨)、<2>控訴人は、正弘が昭和六〇年は痛風のため歩行困難となり農業には全く携われない身体的状況であり、右落雷事故にあったときはその時期一週間ほど無理をして畑に出向いていたものであった旨主張していたこと(控訴人の平成五年五月一七日付け準備書面)、<3>昭和五九年分までは正弘が農業所得について確定申告をしていたが、昭和六〇年分からは控訴人が確定申告するようになり、引き続き昭和六一年分、昭和六二年分についても、控訴人が農業所得を生ずる事業の事業主として確定申告をしていたこと(乙第六ないし第九号証)、<4>控訴人は、昭和六〇年分と昭和六二年分の控訴人の農業所得の推計等に違法があるとして本件各更正を争っているものであるが、審査請求段階はもとより、本件訴えの提起当初から控訴審の第八回口頭弁論期日まで一貫して控訴人が事業主であることを前提に主張を展開していたこと、<5>殊に当審に至ってからは、前記のとおり、昭和六〇年分の控訴人の農業所得について、野辺山農協との取引による収入が控訴人に帰属することを前提として、農業所得の実額による計算を主張していること、また、<6>当審における事業主に関する主張も、初めは昭和六〇年八月二〇日までが正弘で、翌二一日以降は控訴人であると主張したが、その後翌二一日以降は控訴人ではなく弘が事業主であると主張するなど、その主張に一貫性がないことなどからすれば、本件係争年分の農業所得に係る事業主が控訴人でないと認めることはできず、前記自白が真実に反するということはできないというべきである。

なお、甲第三ないし第五号証、第七六号証によれば、控訴人ら正弘の相続人は、正弘の相続に係る相続税の申告において、正弘の未収穫野菜、野菜未収金を相続財産に計上した上、正弘所有の畑、農機具等の農業用財産とともにこれを全部弘が相続したものとしていること(なお、正弘の野辺山農協からの借入金債務も弘が相続したものとされている。)、野辺山農協との取引に用いられる総合計画貯金通帳の名義が昭和六一年五月以降弘となっていることが認められるが、前記認定のような控訴人方における農業経営の実情に鑑みると、相続税の申告の内容の方が実態に適っていたか疑問があり、控訴人は、自ら携わる農業の事業主が誰であるかを容易に把握できる立場にあるのに、本件各更正について訴訟で争いながら、訴え提起後七年余も経過してから初めて事業主は控訴人でないと主張すること自体極めて不自然である上、農業所得を生ずる事業の事業主かどうかは実質的に判断すべき事柄であることに照らせば、右のような相続税の申告内容等から直ちにその事業主が控訴人でないと速断することはできない。

2 当審で追加された争点2(実額反証)について

控訴人は、第一審において控訴人の所得実額をいわゆる間接反証又は再抗弁として主張するものではないとしていたが(控訴人の平成五年二月五日付け準備書面)、当審に至ってこれをいわゆる実額反証として主張するとしたものであり、時機に遅れた攻撃防禦方法であるとのそしりを免れ得ないといえるが、この点はさておき、その主張の当否について判断する。

ところで、本件推計は、控訴人の野菜栽培面積を基礎として、同業者の面積当たりの平均農業所得を用いて控訴人の農業所得の金額を推計しているものであるから、右推計の結果を覆して、控訴人の農業所得の実額を把握することができるといえるためには、その農業収入と必要経費の双方を実額によって把握することが必要であることはいうまでもない。

そこで、まず、控訴人提出の資料によって控訴人の昭和六〇年分の売上金額の実額を正確に把握できるかどうかについて検討するに、控訴人は売上金額について記載した帳簿を備え付けておらず、その主張する野菜販売代金は、正弘名義の総合計画貯金通帳に記帳された野菜販売代金の入金額を集計したものであるが(甲第六四号証、当審証人井出節夫)、控訴人本人の供述によれば、控訴人は昭和六〇年中に大根を栽培しこれを反別で(一反歩当たりの金額を定めて)業者に販売したことが認められところ、昭和六〇年における野辺山農協との取引の中には大根の取引の記載はなく(甲第五〇号証)、右大根の販売は野辺山農協を通さないでした取引であることが推認されるのであって、そうすると野辺山農協からの入金を記帳した前記貯金通帳だけでは同年中の野菜の売上金額の全てを把握することができないことが明らかである。そして、他に売上げを正確に記録した帳簿類の提出はないから、結局、控訴人提出の資料をもってしては未だ控訴人の昭和六〇年中の売上金額の全てを的確に把握することが困難であり、必要経費の点について検討するまでもなく、控訴人の昭和六〇年分の農業所得の金額を実額によって計算することはできず、控訴人の実額主張は採用することができないというべきである。

二  以上のとおりであって、控訴人の本件請求は理由がない。

よって、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼頭季郎 裁判官 佐藤久夫 裁判官 池田亮一)

別表

甘利愛子所得計算

<省略>

<省略>

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